上杉 謙信(うえすぎ けんしん)/上杉 輝虎(うえすぎ てるとら)は、戦国時代の越後国の武将・大名。後世、越後の虎や越後の龍、軍神と称される。
内乱続きであった越後国を統一し、産業を振興して国を繁栄させた。他国から救援を要請されると秩序回復のために幾度となく出兵し、その軍事的手腕を発揮して武田信玄、北条氏康等の敵対勢力に対抗した。さらに足利将軍家からの要請を受けて上洛を試み、越後国から西進して越中国・能登国・加賀国へ勢力を拡大した。
上杉氏の下で越後国の守護代を務めた長尾氏出身で、初名は長尾景虎(ながお かげとら)。兄である晴景の養子となって長尾氏の家督を継いだ。主君・上杉定実から見て「正妻の甥」且つ「娘婿の弟」にあたるとされる。上杉重房を初代として16代の世系ともいわれる。
のちに関東管領上杉憲政から上杉氏の家督を譲られ、上杉政虎と名を変えて上杉氏が世襲する室町幕府の重職関東管領に任命される。後に将軍足利義輝より偏諱を受けて最終的には上杉輝虎と名乗った。49年の生涯の中で武田信玄、北条氏康、織田信長、越中一向一揆、蘆名盛氏、能登畠山氏、佐野昌綱、神保長職、椎名康胤らと合戦を繰り広げた。特に五回に及んだとされる武田信玄との川中島の戦いは、後世たびたび物語として描かれており、よく知られている。自ら毘沙門天の転生であると信じていたとされる。
また、様々な逸話から実は女性だったのではないかと推測する俗説もある。